休日だ。
世間は月曜日だが、私には日曜である。
なので今日は色々活動するつもりでいた。
ちっとぐらい寝坊したって休日なのだ。時間はある。
今日は有意義に使いたい。
しかし朝になってみると、恐ろしくかったるかったのだ。
ポジション的には日曜だが、今日は月曜日なのだ。
週末に全て出し切ってカスになっている状態なのだ。
気持ちがあっても体がついていかない。
体がついていかないので気持ちも萎えていく。
ダンナと娘ぶー子が出掛けていくと、私は再びベッドに戻った。
次の目覚しは9時10分。
これなら9時半にはいくらなんでも起きているだろう。
目標時間より目覚しを早くかけたのは正解であった。
その時間になっても眠くて眠くて全く起きれず、しかし5分おきに鳴る不愉快な音で辛うじて「起きなくては」という意識は保っていた。
ゆっくりと覚醒する。
最後のダメ押しに、足元のエルに顔を舐めさせる。イテテテ、目が覚めましたですッ。
リビングに下りてみると、デカ猫2匹も寝ていた。
私の気配で目を覚まし、まるで「ねぼすけめ」とでも言うように蔑んだ目で私を見た。
フン、そういうアンタらもどんだけ寝てるんじゃい、と時計を見ると、11時半であった。
じゅ、11時半・・・。
いくらなんでも11時半って・・・。
私は9時半のつもりで起きたのである。
2時間のロスはでかい。
心のダメージもでかい。
どーすんだよ、おい、これでも予定通りに動くのか??
今日は市ヶ谷の神社に行って、ついでにつけ麺食べて、ちょっと歩いてブラブラしたら買い物でもしようと思っていたのだ。
不可能ではないが、ちょっとブラブラとか買い物でもなんていうのは、時間に迫られてするものではないのだ。
あぁ、今から風呂入って掃除してご飯の支度して・・・。
しかしこの予定をチャラにすると、残り半日もまたグータラして過ごしてしまう危険性があった。
目標を失うということは、単に予定がなくなるだけなのではない。
意欲すらも失ってしまうのだ。
なので決行とした。
掃除と晩ご飯はナシだ。
その代わりブラブラと買い物もナシ。
これでやましい気持ちもチャラだ。
市ヶ谷までは、西武線に出れば1本で行ける事が分かった。
ちょっと遠回りだが、乗ったっきり動かないでいられるのは楽である。
時間をかけて市ヶ谷に着いたら、まずはつけ麺である。
やはりひとりラーメンは緊張する。
「お嬢ちゃん、ママはどうちたの?」的な、どうしちゃったのでしょうかね感が漂ってる気がしてしまうのだ。
それに私は食べるのが下手で汚いのだが、ダンナが大きな隠れ蓑になってくれていたことを痛感した。
つけ麺をちゅるりんと平らげると、そこから近い神社に向かう。
見上げるほど高いところにあり、それには階段を上って行かなくてはならない。
都合の良い時だけ神頼みに来る人間への試練である。
そして賽銭箱にたどり着くと(神社のメインは賽銭箱ではないだろうが、名前がわかるものがない)、お金を入れて手を合わせた。
合わせようとしたら、正面に何か書いてある。
祝詞だ。
読めとまでは書いてないが、最後に「三唱」とある。
ただでさえ、調子の良い頼みごとに来ているのだ。
頼みには来るが、礼には来ない人間である。
祝詞も唱えんと、はした金と階段上る労力ぐらいで叶えてもらおうなんて、ずうずうしいにも程がある。
読めばいいだけだ。
疲れはしない。
痛いわけでもない。
で、ぼそぼそと「祓い給え、清め給え・・・」と読んでいったが、最後の「幸い給え」が読めない。
一応ふり仮名は振ってあるのだが、古くてかすれて良く見えないのだ。
読めないが読まない訳にはいかないので、「さちーたまえ」と「さいわいたまえ」あたりの音をぐにょぐにょっと濁して唱えた。
願いは届くだろうか。
神社の隅っこの切り株に、猫がノンビリ寝ていた。
近づいても全く起きる気配がないので、目の前まで行って写真を撮らせてもらった。
ちょこっと目を開けただけで、まるで警戒していない。
私はゆっくり手を伸ばしてみたが、途端にピシッと強烈な猫パンチをもらった。
調子に乗った私への猫様の戒めであった。流血。
帰りも急な階段を下るが、今日私は超厚底でかかとの高い靴を履いていた。
想像して欲しい。
爪先立った状態で、急な階段を下りているのだ。
もう、ほんのちょっと背中を押されたら、下まで呆気なく転がっていくだろう。
指1本で私を殺すチャンスがそこにはあったのだ。
死の恐怖から解放されると、私は帰路についた。
まぁつけ麺うまかったし、家でまた寝ちゃうよりはずっといい1日だっただろう。
しかしハイカロリーなつけ麺を食べるのと、どっちが健康に良かったのかはわからないが。
神社の猫様。
この後、キッツーい猫パンチが・・・。