赤ちゃんと言うものは、泣いて要求する以外に自分自身でできる事がない。
食事から排泄まで、全て親が面倒をみるところから始まるのである。
やがて歩き出し、言葉を駆使して気持ちを伝えるようになるが、まだまだ親の手なしでは生きられない存在だ。
そのうち個性も出てきて面白くも面倒臭くもなるが、そのころから手がかからなくなってきて、親は少し楽になる。
しかし今度は親の手を離れた分、心配事が増えるのだが。
それでもまだ子供である。
聞かれれば算数の宿題ぐらい親としてホイホイ答えられるし、走れば子供より早い。
全ての能力値は、まだ親の方が上なのだ。
バカめ、こんな事もできんのか、ハッハッハ。
ところが中学生ぐらいになってくると、少しずつ逆転し始める。
まず、携帯の使い方を子供に聞くようになった。
ゲームも、ジャンルによっては子どもの方が上手いものも出てくる。
子どもの成長を感じつつも、ちょっと悲しい気持ちになるのも、この頃である。
娘ぶー子は現在18歳、高校3年生である。
素直に負けを認めなくてはならないものも、ずいぶん増えた。
体力的なもの全般、彼女の方が上である。
機械類の使い方も、頼りにせざるを得ない。
しかし私がショックだったのは、私が長年、心のよりどころとしていた「音楽」の知識である。
古い時代のものはまだまだ彼女の領域ではないが、新しいものについては邦楽洋楽、どちらも私よりも詳しく、私よりも楽しんでいる。
悔しいのは「この曲、すごくいいから聴いて!」と聴かされた曲が、本当に良かったりする事だ。
逆転してきている。
これまで曲を勧めるのは私であり、ツボにはめるのも私であったのに。
文化祭のベースにも驚いた。
左手の小指も使えない、とぶー子の演奏を鼻で笑っていたが、私より劣っていたのはその部分だけであった。
アグレッシブに指を動かしながら、何とコーラスまで入れていた。
子どもは親を追い越していくものなのだ。
彼女は私からバトンを奪い取り、それを持って私より先へと駆けていくのだ。
しかしだ。
これだけは負けない、そんなものがまだ残っている。
数で言えばまだまだあるが、どれもそのうち私を追い越していくだろう。
しかし、私が誇りを持ってその地位を譲れないものがある。
恥ずかしいが、英語である。
世の中のレベルでいえば子供の域であるが、子供の領域では頑張って作り上げた地位である。
ヘラヘラと過ごしてきたぶー子に、そう簡単に崩せはしないのだ。
私の英語の勉強は、19で英語学校を卒業したのが最後だが、それでも高校生活を遊んで過ごしたぶー子とは天と地ほどの差がある。
ところがぶー子は大学進学を決めたので、中学1年からの英語の勉強を狂ったように始めたのだ。
英語は積み重ねである。
いくら量をさばいても、下から積み上げないと上のものが乗っからないのだ。
しかしぶー子には積み重ねている時間がない。
中2程度の文法にセンター試験向けの単語を乗せている状態である。
気の毒だが、こんなムチャクチャで合格は難しいだろう。
しかし、もうムチャクチャしか選ぶ余地がないのだ。
私は英語教材のゲームを彼女に貸し、家にあった英語の絵本を読ませた。
気休めだが、少しでも力になりたいのだ。
教材の方はプレステのものと、DSのもの。
DSは「えいご漬け」だ。
しかし先日、ぶー子に刺激されて久しぶりに「えいご漬け」をやってみたら、驚いたことになっていた。
中には英単語を覚えるミニゲーム的なものがいくつかあるのだが、その3位までの記録がほとんどぶー子に塗り替えられていたのだ。
私は焦った。
ヤバい、本気出してやらないと、追いついてきやがった。
そして私は寝る前にベッドにDSを持ち込み、ミニゲームの記録をさらに塗り替えてやろうと決めた。
決めたが全く歯が立たなかった。
たったひとつ、私の名前が残っているものは何とか1位をキープしていたが、2位のぶー子とはコンマ数秒の差である。
抜かされるのも時間の問題だ。
そんなんで、今日は歯医者の行き帰りの電車の中では、ずっとDSをやっていた。
その甲斐あってひとつだけ3位に食い込んだが、降りる駅を乗り過ごしてしまった。
若いモンの吸収力は、私達世代のそれよりも凄いものがある。
ヤツらが本気を出せば、私らなんてひとたまりもないのだ。
それなのに、何とその能力を無駄にしている輩の多いことよ。
かつての私も、実は今の私もそうなのだろうが。
しかし今、ぶー子は本気で受かる気になっている。
単に彼女はハードルの高さに気づいてないだけのような気もするが、まぁ珍しく本気を出しているのだ。
そう簡単に抜かれるとは思いたくないが、私も昔とった杵柄にあぐらをかいていてはヤバそうな気がしている。
勝利の女神は、努力をしたものの方に微笑むのだ。