気分の浮き沈みが激しい、と、時々人から言われる事がある。
私は自分以外の人間になった事がないから他人の浮き沈みと比べた事などないが、確かに「浮き」と「沈み」の落差はかなり激しいとは思う。
しかし、若い頃よりはずっと強くなったつもりでいる。
要は「諦める」、この一言である。
何とかしようとジタバタしたり、「浮き」の状態に執着したりしないで、「こりゃもう仕方がないんだ」と諦めることが、「浮き」への第一歩なのである。
しかしそれでも相変わらず「沈み」には弱い。
中にはどうしても割り切れない時があるのだ。
そんな時はとことん落ちる。
誰だってそんな時はあるだろう。
浮きも沈みも平等なのだ。
・・・と思っていたが、実はそうでもない事が分かってきた。
実は私はダンナが落ち込んでいる姿を全く見た事がない。全く。
そんな姿を見せないようにしているのかと思ったが、彼は落ち込まないらしいのだ。
「例えば誰かが自分の悪口を言ってるのが聞こえちゃったら?」
「仕事でミスをして迷惑をかけてしまったら?」
そういった感じの、いかにもダメージを受けそうなシチュエーションを想像してもらったが、別に気にならない、困るけど落ち込みはしない、とサラッ言った。
「あんまり深く考えないんだよなぁ。」と言って頭を掻いた。
そうなのだ。
世の中は平等ではないのだ。
私は浮き沈みの激しい星の下に生まれ、ダンナが一度も落ち込まない間に何度も辛い思いに耐えてきた。
それでも私はなかなか強くはならないし、ダンナは相変わらず落ち込む事はない。
だからと言って私の「浮き」が人より大きいのかは測りようがない。
不平等である。
で、今日も落ち込んだまま歯医者に向かっていた。
その後は吉祥寺でカレーを食べる予定だったが、全く心が躍らない。
明日は娘ぶー子の誕生日パーティである。
私は色々面白い企画を考えたのだが、それを先に進める気力がない。
こんな気持ちで明日、誕生日のバカ騒ぎをするのか。
しかしこの後、とても嬉しい事が立て続けに起こり、私は浮いたのだ。
やはり私の「浮き」は人より高いかもしれない。
それ程浮いた。
それは吉祥寺で起こった。
歯医者のあとダンナと待ち合わせをしていたのだが、私の方が早く着いてしまったので、LONLONをブラブラ歩いていたのだ。
その時、凄いものを見つけてしまったのだ。
私は一人でいたのだが、それにも関わらず「ええっ!?」という「ぶったまげた」のリアクションを大きくとってしまった。
こんな驚きは、初めてである。
私はダンナに、吉祥寺に着いたらLONLONを動かないようにメールで伝えた。
それから外に出て安い服を2枚買った。
浮いてきた。
ぽ子は「浮いて」きたのだ。
ダンナと落ち合うと、「凄いことになったよ。この凄さは過去数年はないはずだよ。もしかしたらこんな衝撃は生まれ初めてかもよ。」と煽ってやった。
ダンナも「なになに??何があるの??先に見えちゃったらどうしよう。」と不安定に浮き始めた。
「オレ、目ぇつぶって歩こうかな??」
「何だろう??」
「エルがいたの??」
・・・エル(笑)
「衝撃=エル」。こんなところにもエルである。
で、私が目をつぶったダンナに手渡したのは・・・、
エルである。
私が目をつぶったダンナに手渡したのは、売り物のカレンダーの見本であった。
猫のカレンダーである。
以前プロのカメラマンに来ていただいた事があったが、彼のカレンダーなのだ。
もしエルが採用になったら、我が家に見本を送ってくれるという事であった。
そういったものは全く届いていなかったので、これは不採用だった事を意味している。
ガッカリしながらページを繰っていったら、「撮影にご協力頂いた方々」のところに私達夫婦の名前を見つけたのだ。
破れんばかりの勢いでページをめくっていく。
週めくりなので、結構なページ数だ。
エルは11月の2週目にいた。
その時私は小さな声で「ああっ!!」といい、口を大きく縦に開いていた。
そしてダンナも同じように「ああっ!!えう(ダンナはエルを溺愛するあまりにこう呼んでいる)!!」と言って、目を丸くした。
「えう、いた、えう、本当にいた!!」外国人のようである。
かくして私達はえうの素晴らしさを語りながら、カレー屋に向かった。
このカレーがまた凄く美味しくて、さらに私は浮いた。
そして吉祥寺は、心躍る街であった。
西荻、荻窪に住んだtuguさんが住みたいというだけの事はある。
帰る頃にはすっかりゴキゲンであった。
家に着き、いつもの習慣でポストを開けると、中には小さな小包が入っていた。
文芸春秋からである。
心当りがない。
「さっきのカレンダーじゃないの?タイムリーだね。」
「いやぁ、こんなに小さくなかったよ。」
果たして中に入っていたのは、
ここにもえうがいたのだ(泣)
もしかしたら、「浮き」も「沈み」もみんな平等なのかもしれない。
いっぱい沈んだ分、神様はいっぱい浮き上がらせてくれたのだ。
見返りを待つという意味ではなく、「いつかいい時も必ず来る」と信じて、これからも頑張って沈んでいきます。
ぽ子、39歳。
少し強くなった気がした。