今日の歯医者では、何もしなかった。
まだ痛む、と言うと、それなら先に進められないとの事だ。
もしかしたら神経の治療をやり直さなくてはならないかもしれないらしい。
ただ、
「痛がりの人はこうやって長い事痛がる事が多いんだよねぇ。」と先生は困ったように言った。
なので2週間様子を見て、痛みがなくなっていたら治療を進める、まだ痛いようだったら神経の治療のやり直しという事になった。
神経の治療のやり直しなんて、考えるだけで身の毛もよだつが、さし当たって今日は何もしないで帰れるとわかり、突然訪れたハピネスに身も心も軽くなった。
一体私は毎週何をしているのだ?
これでは子供と同じである。
ところで今日は待合室で、置いてあった雑誌を読んだ。
子供向けの絵本数冊の他は、「ナショナルジオグラフィック」や写真雑誌のような、堅い本ばかりである。
恐らく真面目そうな先生の趣味だろう。
私は中から海外の旅行雑誌を選んで読んでいた。
スペインの特集である。
旅行雑誌と言っても、大判の丈夫な紙でできた、豪華版のものだ。
ちょっとした写真集のような華やかなもので、内容も「セレブな休日」と言ったような、一流ホテルの特集である。
治療室に入ってから助手の奥さんに、「あの雑誌、読みました??スペイン、きれいですね。先生の趣味ですか?」と聞いてみると、
「いえいえ!!先生はね、ダメなんです、ヨーロッパ。」
ええっ!?ヨーロッパ。ダメ。
「アジアなんですよ、先生は。」
アジア。アジア、アジア・・・。
「・・・い、インドとか?」
「はい、そうです。インド、行きました。新婚旅行はインド、ネパールです。私の意見なんてゼロですよ、ゼロ。」
新婚旅行がインドとネパール。
私は心から同情し、ふたりの力関係を思い知った。
インドもネパールも奥が深い国のようで、ある種の人間を中毒させる魅力があるようだが、なにも新婚旅行で・・・。
確かにふたりのやりとりを見ていると、圧倒的に先生の力の強さを感じる。
亭主関白丸出しである。
「~しろと言っただろう。」
「何でわからないんだ。」
「だからお前は・・・。」
と言った具合だが、言い方が優しいので威圧感はない。
一方それを受ける奥様は「あら、だって実はこうだったりしませんか。」「この間はこう言ったじゃないですか。」などとサラッと流し、アハハと笑っている。
素晴らしい夫婦である。
完成されている。
この奥様は本当に聞き上手の話し上手なので、ついつい私も喋ってしまうのだが、先生の方とは治療以外の話をした事がなかった。
ところが前々回、「カレーの美味い店、知ってるんだって?」と言い出したのをきっかけに、食べ物の話で盛り上がってしまった。
大変なグルメであった。
キロ単位で買って作るタンシチュー、新しく出来る中華の店、レトルトなのに凄くうまい麻婆豆腐、近所のカレー屋、インドカレー。
私は驚いた。先生、こんなに喋った。
そして先生の教えてくれた麻婆豆腐は本当にすごく美味しかった。
あれ以降、「あの麻婆豆腐、いついつ食べた」というのが挨拶代わりになっている。
そして私の顔を見ると「またカレーが食いたくなってきた。」と言うようになった。
歯医者通いももうすぐ2年。
まだまだ私の知らない先生の姿がありそうだ。