人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子56歳。

皿との決別

エルです。

です。

この皿は、エルと元気と勇気が捨てられていたダンボールに、一緒に入っていたものだ。

生まれたばかりの子猫のダンボールに、成猫が食べる乾燥餌を入れて、その皿は入っていた。

元気も勇気も死んだ。

親猫に育てられればきっと生きられたものを、私が殺したようなものだ。

忌々しいこんな皿、さっさと捨ててしまおうと思ったのだが、できないまま1年が過ぎてしまった。

離乳食を食べるのに使うような、メラミンの皿である。

エル達を捨てたのは、子供のいる女性だったのだろうか。

最初は団地の中の駐輪場にいたらしい。

必ず人の目につく場所だ。

誰かに拾って欲しかったのだろう。

「捨てた」のではなく、「手放した」というニュアンスのほうが近いのかもしれない。

置いて行く方も辛かったのかもしれない、そう思ったらあの皿を捨てられなくなってしまったのだ。

もちろんこれは「手放した」のではなく「捨てた」、つまり「見殺しにした」事と同じで、許せない行為だ。

でも、駐輪場に子猫を置き去りにし、誰かに拾われることを祈る気持ちを思った時に、こちらの胸も詰まってしまった。

今、エルはここにいる。

親バカを承知で言うが、世界で一番かわいい猫だ。誰にも渡す気はない。

誰かが手放してくれたからここにいるのだが、その代わりに二つの命を亡くしてしまった。

しかし、その誰かがもし手放さなかったとしたら、エルは死んでいただろう。

ちょっとやっかいな障害があったのだ。

生まれたばかりの子猫を捨てるような人間に、治せるような障害ではない。

エルと、元気勇気の命を天秤にかける事はできない。

つまるところ、今ある現実以外の道など、今となっては考えても仕方がないのだ。

エルを捨てた人を許す気には到底ならないが、今、ここにエルが元気でいる、そのことに感謝していこう、そう思った。

皿を捨てる事にした。