エルです。
皿です。
この皿は、エルと元気と勇気が捨てられていたダンボールに、一緒に入っていたものだ。
生まれたばかりの子猫のダンボールに、成猫が食べる乾燥餌を入れて、その皿は入っていた。
元気も勇気も死んだ。
親猫に育てられればきっと生きられたものを、私が殺したようなものだ。
忌々しいこんな皿、さっさと捨ててしまおうと思ったのだが、できないまま1年が過ぎてしまった。
離乳食を食べるのに使うような、メラミンの皿である。
エル達を捨てたのは、子供のいる女性だったのだろうか。
最初は団地の中の駐輪場にいたらしい。
必ず人の目につく場所だ。
誰かに拾って欲しかったのだろう。
「捨てた」のではなく、「手放した」というニュアンスのほうが近いのかもしれない。
置いて行く方も辛かったのかもしれない、そう思ったらあの皿を捨てられなくなってしまったのだ。
もちろんこれは「手放した」のではなく「捨てた」、つまり「見殺しにした」事と同じで、許せない行為だ。
でも、駐輪場に子猫を置き去りにし、誰かに拾われることを祈る気持ちを思った時に、こちらの胸も詰まってしまった。
今、エルはここにいる。
親バカを承知で言うが、世界で一番かわいい猫だ。誰にも渡す気はない。
誰かが手放してくれたからここにいるのだが、その代わりに二つの命を亡くしてしまった。
しかし、その誰かがもし手放さなかったとしたら、エルは死んでいただろう。
ちょっとやっかいな障害があったのだ。
生まれたばかりの子猫を捨てるような人間に、治せるような障害ではない。
エルと、元気勇気の命を天秤にかける事はできない。
つまるところ、今ある現実以外の道など、今となっては考えても仕方がないのだ。
エルを捨てた人を許す気には到底ならないが、今、ここにエルが元気でいる、そのことに感謝していこう、そう思った。
皿を捨てる事にした。