人間のクズ!

敵は自分の中にいる。ちょっとだけ抗ってみたくなった、ぽ子55歳。

かわいそうな話(フィクション)

休憩時間にエルの写メを見て過ごしている。

暇さえあればエルの事を考えている。

かわいいと言う言葉では足りない。

骨抜きだ。

この感情がちょっと異常なのではと思うようになったのは

最近ではない。

エルが入院している話をすると、どうもリアクションが私の予想とギャップがあったのだ。

エルが小さいのにかわいそうね、とか、

それじゃ心配よね、とか

ぽ子さんも辛いわね、とか

そんなのを予想していたら、大抵の人は

それじゃお金がかかるわね、とか

まだ入院してるの、とか

こんなにお金かけてるんだから良くなってくれなきゃね、とか

私にしては信じられない事を言うのだ。

これが猫じゃなくて人間の子供だったらこうは言わないだろう。

あの人達、いや、もしかしたら普通の人にとっては

エルは動物であり、ペットでしかないのだ、という事に気がついた。

ところがこのような発言は、動物を飼っている人の口からも出た。

なぜ、私の気持ちがわからないのだ?

何が違うのだ?

そこで思った。

おかしいのは自分の方なのもしれないぞ。

エルに対する気持ちが尋常でないのは何となく感じてはいた。

ウチにはもう2匹健康な姉妹猫がいるが、明らかに彼らに持つ感情とは違う。

何でこう違っているのだ??

考えた。

子猫だからか?

私は、拾ったのが大きな猫で全くこれまでのエルと同じ経緯を辿ったところを想像してみた。

いや、きっと溺愛しているだろう。

では何がそうさせる?

考えた結果、私達がエルの命を握っている事にあるという結論に至った。

普通に育てるだけだと死んでしまうのだ。

普通に愛でるだけでは足りないのだ。

昨日エルの面会に行く途中で、ちょっと悲しい事を思い出した。

実際は悲しくないのだが、考えるととても悲しいことだ。

エルをまだ家に保護したばかりの頃のことだ。

まだ目も開いておらず、ひ弱で毎日のように病院へ連れて行っていた。

まだ片手にスッポリ入るほど小さいので、口の閉まらない小さなバッグに入れて通っていた。

自転車のかごに入れていたので、行き帰りが心配で仕方なかった。

もし車に私がはねられたら、エルはどうなるだろう?

意識があれば「子猫がいるはずです」とエルの存在を誰かに伝えることができるが、

もし私がその場で意識がなくなりでもしたら、

もしエルが、衝撃でどこかに吹っ飛んでしまったら。

私はエルが誰にも気付かれずに、たったひとりでモゾモゾと「誰か」を求めてうごめいている姿を思い浮かべた。

泣けてしまった。

この話をダンナにしたのだが、ダンナはこう言った。

「そんな事になったら気が狂う。」

これが私達の感覚である。

多分、普通はこうならないのだろう。

・・・という事に、遅ればせながら気付いたのであった。